2022年8月7日
主日礼拝
《建徳要旨》
①創世記4章1~16節:兄カインは農夫として労働の実りを、弟アベルは羊飼いとして最上の小羊を献げます。すると神は、弟とその献げ物に目を留めますが、兄にはそうしません。弟への妬みで激怒する兄に、神は「罪が戸口で待ち伏せし、お前に襲いかかろうとしている。お前はそれを支配せねばならない」と警告します。罪は邪悪な思いから始まる。カインは罪を支配できたか?出来なかった。善が何であるかは知っていても、善を行う力がない。それは私たちも同じ。カインは罪に支配され、弟アベルを殺害する。どうすれば良かったのか。顔を上げて神に、どうしてですかと問い率直な対話をすべきでした。そうすれば神の愛と赦しの力によって、罪に支配されなかったろう。でもカインは顔を上げず、背を向けたまま去りました。神はそんな彼にしるしを付けて守ったのです。私たちも神に顔を上げ、率直に語り合うものとなりたい。 (K・H)
②エフェ4章17、22、24節:主によって強く勧めます。…古い人を脱ぎ捨て…新しい人を身に着け…なければなりません。先々週、「神さまは、私たちが幼子のように、裸のままで出て来るのを待っておられる」というの浜田兄の建徳をお聴きし、私はいろんなものを着こむことは好きだが、脱ぐのは不得手だなぁと教えられました。パウロは「古い人」はもう死んだもの、セミの抜け殻のようなものだから、さっさと脱ぎ捨ててしまいなさいと強く勧めています。でも、それは私たちが頑張って、古い人を新しくするのでも、また、新しい人に着替えなさいというのでもありません。セミのように、古い人を脱ぎ捨てさえすれば、もう、新しい人はイエスさまが十字架によって着せてくださっているのです。だから、新しい人を身に着けるとは、聖書に記されたイエスさまご自身の地上でのご生涯に学びつつ生きることだと教えられました。 (N.H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-08-07 K・H兄、N・H兄(24:25))