2022年6月5日
主日礼拝

《建徳要旨》

エフェソ6章17、18節:霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
礼拝では、神が聖書を通して語られる御言葉を聞きたい。神の言葉には力があるからです。私たちから生きる喜びや希望を奪う敵が悪魔です。私たちを神か引き離そうとします。だから、より良く生きることは戦いです。その敵には神の言葉の剣で戦わねばなりません。主イエスはどうだったか。悪魔の誘惑に対して、聖書の言葉で勝利されました(マタイ4章)。第1の誘惑には、申命記の言葉「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と書いてある、と答えました。2番目の誘惑に対しても,…と書いてある、と答え、3番目の誘惑に対しても、…と書いてある、とだけ答えています。ご自分の考えは何も加えず、聖書の言葉だけを口にされました。霊の剣である神の言葉が敵に勝つからです。それなのに私たちは、自分の言葉や思いで悪魔に対抗します。だから始祖アダムのように敗れます。神の言葉はロゴスとレーマの2つがあります。キリストご自身でもある神の言葉(ロゴス)から、自分に語られる神の言葉(レーマ)を受け取り(ルカ5:5)、その言葉に聴き従うなら勝利します。神の御言葉には力があるからです。(K・H)

②申命記6章49節:聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である
①の建徳から、御言葉の大切さを再確認しました。聖書は倫理道徳の本ではなく、神御自身と御心を知らせてくださるために書かれたものです。ユダヤ教徒は家庭で幼い時から聖書を読み、神から何を語りかけられているかを知ろうとしました。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子どもたちに繰り返し教え…(6節)と、ある通りです。私たちに聖書が与えられていることは、本当に感謝なことです。それを神の御言葉として読みたいものです。(S・K)

 先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-06-05 K・H兄、S・K兄(23:45))