2022年5月15日
主日礼拝
《建徳要旨》
①マラキ3章6~11節:十分の一の献げ物をすべて倉に運び、わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐ。
今日は礼拝に引き続いて総会がありますので、献金について建徳を致します。
私たちが持っているすべての物は神のものです。私の命も神のものです。この体もお金も全部神様のものです。一時的に託され、預けられているに過ぎません。私が働いて得たものだから、私の物だとつい思います。献金は神のものを神にお返しすることです。十分の一献金についての声を以下に引用します。
「私は十分の一も献金するのは惜しいと思っていました。 でも、聖書に書いてあることなんですよね。 マラキ書には十分の一は自分のものじゃなく神様のものだから、献げなかったら神から盗んでいる、と書いてあったので、『しょうがないな~』って感じで、私の什一献金が始まりました。 今は、十分の一以上を喜んで献金しています。献金する金額って、信仰に比例してるような気がします。信仰の教えって、実際やってみると『え、こういうことだったのか』って、分かります。頭でだけ考えているのと、実際やるのとでは生じる結果が違うこと多いです。でも献金って感謝と信仰でするものですよね。無理することではありません。私も、信仰の先輩たちにそう言っていただいてました。そして、その先輩たちが献金して恵まれている姿を見て、自分もやろうって思ったんです。 献金は恵みです。だって、聖書に書いてある教えはすべて、人を苦しめるものではなくて生かすものですから。私を試してみよ、は疑いながら試すのではありません。信じて献げてみなさい、と勧められています」と。
収入の十分の一を献げるなら、必ず神は天の窓を開いて、祝福を限りなく注がれます。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-05-15 K・H兄)