2022年5月8日
主日礼拝

《建徳要旨》

列王記下4章1~7節:預言者の夫が死に、生活に困窮した妻はエリシャに訴えた。すると、空っぽの器を借りれるだけ用意させ、そこに油を満たし換金させます。器は空っぽであること。人は器で、私たちは空っぽではなく、欲や自己主張、思い煩いや不安を一杯抱えている。だから、空っぽになり、そこに油である聖霊で満たされる祝福を学ぶ必要があります。「何をやってもうまくゆかない。自分には司祭としての使命を果たす力がない」と、無力さをしきりに訴える若い神父に、マザーは言いました。「神は、一杯のものを満たすことができません。神は、空っぽの器だけを満たすことができる」。自分の無力さを嘆く必要は少しもない。むしろ、無力で何も持っていないからこそ、神はあなたを恵みで満たされるのです。失うまいと執着し、握り締めているから、油である聖霊が入り込めない。必要な物はすべて神が用意し、ふさわしい時に与えて下さると信じて、主にお委ねする。それが空っぽの器になること。キリストに倣って無になり、謙遜に遜ること。そうすれば、水や油が低い所に自然に流れ落ちるように、神の愛と恵みで満たされます。 (K・H)

②詩編16編9~11節:わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます。
ヨハネ20章19,20節:復活の主を見た弟子たちの喜びは一時的なものではなく、永遠の喜びとして主から与えられたものです。上記詩編の喜びも同じで、主の命に生かさて歩める喜びです。今、起きているロシアとウクライナの戦争は、人間の罪から起きています。そして、いつの世にも争いは絶えず、苦しみが続きます。そのような中でも、信仰によって主から与えられる平安と喜びに満たされるのは、何ものにも代え難い恵みです。オランダの地方都市マーストリヒトのこと。 (E・S)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-05-08 K・H兄、E・S姉(16:00))