2022年5月1日
主日礼拝
《建徳要旨》
①使徒18章1~11節:恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。
これはコリント宣教中のパウロに臨んだ主の言葉です。彼はⅠコリ2:3で「衰弱していて、ひどく不安だった」と回顧しているように、意気消沈していました。福音を語っても、主を信じる人が起こされないと、私たちも無力感を感じます。それでも主は「語り続けよ」と命じられるのです。でも、間違ってはいけません。主は「信者を何人増やせ」なんて、一言も言っておられないのです。この世では成果の多寡で評価されます。しかし、主は成果を問うことはなさいません。成果は主にお任せすればいいのです。主はいつも私たちと共にいてくださり、同労者も私たちの周りに大勢備えてくださいます。私たちはその人たちと共に祈り、力を合わせて、福音を語ればそれでいいのです。与えられた力に応じて、福音を語りましょう。拙くても大丈夫。 (N.H)
②2ペトロ1章1,2節:イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。私たちもキリストの僕、奴隷です。しかし強いられてではなく、自分から進んでそうなった。信仰はキリストの命を恵みとして授かり、受けたもの。努力して掴み取ったものではありません。尊い信仰=キリストの尊い血によって贖われ、救われたからです。更に、キリストの義によって(ローマ3章21~26節)無償で与えられた恵みです。ペトロは、使徒である私たちと同じ信仰、と書いています。親鸞の師法然は、他力の信心は仏の方より賜わるものなれば、私の信心も親鸞の信心も同じと言いました。私たちは頭で理解して信じたというより、信じる心をいただいたのです。そして今、キリストの尊い命に生かされているのです。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-05-01 N・H兄、K・H兄(26:45))