2022年4月17日
イースター主日礼拝

《建徳要旨》

ヨハネ2014節:こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
マリアが後ろを振り向いた時、イエス様は間違いなくマリアの後ろに立っていたのですが、「マリアにはそれがイエスだとは分からなかった」という意味は、マリアの目、肉眼の目には復活のイエス様の姿は全く見えていなかった、見ることができなかったということなのです。イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である(16節)名を呼ばれて、マリアはすぐに主イエス様だと分かりました。あの伝道の旅の霊の交わりの中で、イエス様に呼ばれていた「マリア」という呼びかけに、彼女の肉の目や耳ではなく彼女の霊、魂が反応したのです。ここで思わされるのは、復活のイエス様は人間の肉眼では見ることができないということです。イエス様は遺体が見つからず途方に暮れて泣いていたマリアの霊の目と耳を開いてくださり、弟子たちの誰よりも早く復活のイエス様に出会うという、この世で最も大きな喜びと祝福を彼女に与えてくださったのです。私たちも是非このマグダラのマリアと同じように霊の目、霊の耳を開けていただき、今日のイースター、主イエス様のご復活を心から喜び、お祝いしたいと思うのです。    (T・M)

ヨハネ18章4節:イエスはご自分の身に起こることを何もかも知っておられた。
弟子の裏切りと逃亡、特にペトロは3度も主を知らないと言う。十字架に至る一連の出来事の中に示された人間の弱さを全部知っておられた。だから、「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい」と、ペトロだけ名指しされた。ここに主の深い思いやりが感じられます。3度も主を知らないと言ってしまい、悔み続けているペトロに対して、十字架の死で終わらず、復活してガリラヤで会えるとの希望を主イエスは天使に伝えさせているからです。最初に主と出会い信じた魂のガリラヤで、主イエスにお会いできる。それが復活の希望です。私たちにも主は同じ言葉を語られます。    (K・H)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-04-17 T・M兄、K・H兄(20:40))