2022年4月10日
主日礼拝
《建徳要旨》
①ルカ8章1~3節:「マグダラのマリア」
人類史上最も大きな悲しみと、最も大きな喜びを味わったマグダラのマリア。悲しみとは救い主イエスの十字架の死(マルコ15章37~41節)。そして、墓に来たら何と主の遺体がないので、泣いている(ヨハネ20章11~13節)。これほどの惨めさはない。しかし…次回に。 (T・M)
②Ⅰコリント15章3節:すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと…
3、4節に「聖書に書いてあるとおり」とありますが、聖書の中心は主の十字架と復活の福音です。その十字架について。神の独り子イエス・キリストが十字架につけられたのは、私たちの罪のためでした。キリストには何の罪もありません。私たちの代わりに罪の刑罰を受けられたのが十字架です。ローマ4章25節:イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され…,5章8節:しかし私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。何故そこまでしなければいけなかったのでしょうか。6章23節:罪の報酬は死だからのです。誰がそんな死を身代わって受けるでしょうか。主キリスト以外、誰もいません。その意味で、5章8節のしかしは驚くべきもの。人間には到底できないことです。更に、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マルコ10章45節)と語られました。十字架の死だけでなく、主イエスの生き方すべてが十字架のご生涯であったのです。そのすべては、罪人である私を愛するが故です。「主我を愛す」の2番をもう一度、歌います。♬わが罪のため/さかえを捨てて/天よりくだり/十字架につけり…♫この御方を見つめたいのです。1ヨハネ3章16節、4章10,11節。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-04-10 T・M兄、K・H兄(12:00))