2022年3月20日
主日礼拝

《建徳要旨》

創世記23章:「アブラハムの涙」
サラは…死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた。(2節)
妻サラの死に際してアブラハムは胸を打ち、泣きました。死は別れゆえ悲しいですが、サラの死は自然の死です。一方、不自然な死があります。事故や戦争による死です。今、毎日のようにウクライナでは市民が殺されています。殺されたわが子を前に、嘆き泣く母親の映像を見てると、心が痛みます。そして、「神が人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(黙示録21章3,4節)。このような世界、神の御国を来たらせて下さい、と祈らずにはいられません。礼讃190番♪今の悲しみも涙も死も取り除く君を我らは待つ♫

サラを葬る墓の交渉:アブラハムは寄留者でした。そこに住んでいても、自分名義の土地を持っていない。最初はただで差し上げると言いながら、売ってくれ、と言われると、銀400シェケルでと。法外な高額。交渉事において、アブラハムは一切値切っていません。子や孫たちが墓の事で肩身の狭い思いをしないようにとの配慮からです。死は避けられない。しかし、死はすべての終わりではありません。新しい世界への入り口です。ですから、復活の希望を持って死ねる私たちキリスト者は幸いです。墓碑銘に、「主 来り給うまで」と、あるのを見た時の感動。墓の中にずっと居続ける永眠ではなく、主キリストがもう一度来られるまでの就眠。アブラハムもその日(再臨)を待ち望んでいたとあります。イエスは言われた。「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。…はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」(ヨハネ8章56~58節)
逃亡したハガルに語りかけ、へりくだりを諭した「エル・ロイの神」、死にかけたイシュマエルの泣き声を聞かれ、救いの井戸となられた神こそ、イエス・キリストだったです。       (K・H)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-03-20 K・H兄)