2022年3月6日
主日礼拝

《建徳要旨》

創世記16章:「エル・ロイの神」(わたしを顧みられる神)
アブラム夫婦は10年待ったが、子供は与えられません。そこで、サライは自分の女奴隷を夫に与えて、彼女から生まれた子を自分の子にしようと考えます。しかし、そのことを神に祈りの中で相談していません。もし主に相談していたら、「待て」と言われたでしょう。同じ間違いを私も繰り返します。神に聞かないで、自分で判断してしまうのです。

サライの提案と、そこから生じたトラブル。先ず、ハガルの高慢さ。女主人を見下したことが発端です。それに対するサライの嫉妬と怒り。ハガルを与えたのは彼女自身なのに、夫のせいにしています。更に、アブラムの無責任な態度です。その結果、ハガルがいじめられ,耐え切れずに逃亡します。

泉のほとりで、ある方がハガルに出会い語りかけ「女主人のもとに帰り、身を低くして従順に仕えよ」と優しく命じます。しかし、これはハガルが最もしたくない、最も辛いことでした。しかし、これが最善の道なのです。へりくだることを勧めた、この人は誰か。自らも身を低くして、仕える僕となられた主イエスです。その方が言われた言葉なので、ハガルの胸に届きました。13節から、ハガルに語りかけたのが神であること、ハガルを見守り、顧みられる神であることが分かります。それで、この人の前にひざまずき、「あなたこそエル・ロイの神です」と言ったのです。エル・ロイと言ったのは、アブラムでもサライでもなくハガルです。弱い立場、いじめられ逃げるしかなかったハガルを見守っていてくれた神に気付いたのです。すべてがキリストの眼差しの中で起こり、見守られていて、主はハガルを見ておられた。そして「ハガルよ」と名前で呼ばれた。救いはエル・ロイの神、イエス・キリストとの出会いにあります。それは、今の私たちに於いても同じです。    (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-03-06 K・H兄)