2022年2月27日
主日礼拝

《建徳要旨》

創世記15章1~21節:アブラハム契約」は、どのように結ばれたのでしょうか。家畜を屠り、2つに切り裂き両端に向かい合わせにして置き、その間を契約の当事者同士が通り抜けるのです。エレミヤ34章18,19節。契約は聖書を理解するうえで、とても重要です。それは2種類あります。

①行いの契約=その典型がモーセの十戒です。シナイ山でなされたのでシナイ契約と呼ばれます。律法が与えられ、それを守り行ったら祝福、守らなかったら呪いを下すという条件付きの契約です。人間の側に重点が置かれています。それに対して
②恵みの契約=アブラハムとの契約です。人間の側の行いは何も求められていません。契約の当事者であるアブラムは神からの深い眠りによって、寝ています。それで、切り裂かれた動物の間を通り抜けたのは煙を吐く炉と燃える松明が示す神だけでした。だから、一方的な契約になります。その意味は、違反の罪の責任を負うのは神だけだという事です。こんな契約を私たちは結びません。しかし神は、この契約をアブラムと結んだのです。アブラムは信じるだけです。つまり信仰によって義と認められる福音がここにあります。

旧約聖書の中に①と②の契約があり、その代表がモーセとアブラハムです。②は旧い契約ではなく、新しい契約(福音)です。契約違反の責任は神だけが負うのです。主イエスの十字架が、それです。十字架の死は、このことを示しています。罪を犯し契約違反をしたのは私たちなのに、その責めは神が負われ、神の御子が切り裂かれた動物のようにされたのです。それによって私たちは、律法による裁きではなく、福音によって恵みの下に移され、祝福されているのです。アブラハム契約がそのようなものであったことを知り、改めて深い感銘を受けました。       (K・H)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-02-27 K・H兄)