2022年2月13日
主日礼拝

《建徳要旨》

創世記12章1~5節:主はアブラムに言われた。「あなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、祝福の源となるように。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。75歳であっても、神が行きなさいと言われたら、「はい」と従いました。神はなぜアブラムを召されたのでしょうか。祝福の源とするためです。アダムからノアまで10代、ノアの子セムからアブラハムまでも10代。アブラハム~モーセ~ダビデ~イエス・キリストへと続く系図は、アブラハムの祝福が受け継がれて、今の私たちにも及んでいることを示すのがガラテヤ3章8,9節。神は「あなたのゆえに異邦人は皆、祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。この聖句から,キリスト者は信仰によって今既に祝福されて、アブラハムの祝福の中にあると言えます。しかし、祝福を受けるに相応しい行いをしているからではありません。私たちが受けるべき呪いを全部、代わりに受けて下さった主の十字架の故です。だから、私たちがキリストに繋がり、その信仰に生きているなら、祝福されているのです。 民数記に登場する不思議な人物バラムは、神からイスラエルの民を呪うことを禁じられます。「この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ。」(民数記22章12節)と。彼の話は、どうしようもない民であることが連綿と記された民数記11~21章のすぐ後にあり、そんな民であったのに、祝福されていたのです。なぜ?神の選びと契約のゆえにアブラハムの祝福の中にあったからです。このことは弱い私たちであっても、祝福されているとの確信を与えてくれます。ですから、「祝福して下さい」よりも「祝福されていることに気づかせてください」と祈ります。たとえ今、困難な状況や病の下にあっても祝福されているのです。(K・H)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-02-13 K・H兄)