2022年2月20日
主日礼拝
《建徳要旨》
①創世記12章10~20節:「どんな人にも弱さがある」弱さとは罪に陥る傾向のことで、信仰の父アブラムにもそれがありました。上記の聖書箇所がそれを示す。飢饉によってエジプトに下り、妻を妹と偽る。アブラムは妻の貞操よりも自分の身を守ろうとします。その結果、王からは沢山の贈り物が届く。しかし、そこに神が介入され、事態は一変します。王の宮廷に恐るべき病気が発生し、アブラムのうそが発覚。しかし彼らは守られ、殺されることなく国外に送り出されます。
人間は弱いものです。過ちを犯して人に迷惑をかけます。しかも同じ過ちを繰り返し、「あなたは何ということをしたのか…してはならぬことを私にしたのだ」と怒鳴られます(創20章9節)。信仰の人としてアブラムは、どこでも主のために祭壇を築き、主の御名を呼ぶ祈りと礼拝を欠かさない。にもかかわらず、弱さのゆえに過ちを繰り返す。私たちも同じ。だから、自分ではなく主に頼るほかない。そこに神が介入され、幾度も救われます。普通は恥の面は隠蔽したい、と考えます。しかし、聖書は違います。偉大な人物の失敗や罪を隠すことなく、そのまま書き残しています。アブラハム、ダビデ、ペトロ然りです。人間は誰でも弱さを抱えているのです。成功談よりも失敗談の方が人の心を打つのは、そのためです。そして、弱さと恥の只中に,神が介入されます。何という恵みでしょうか。礼賛395番2節の歌詞:♬いつくしみ深き友なるイエスは われらの弱きを知りて憐れむ 悩み悲しみに沈めるときも祈りに応えて慰め給わん♬。この弱さのまま、主イエスの許に行き、悩み悲しみに沈める中から祈れば、それに応えて天来の慰めが与えられます。遠い昔のアブラハムが、すぐ身近に感じられます。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-02-20 K・H兄)