2022年2月6日
主日礼拝
《建徳要旨》
①ローマ4章16~21節:アブラハムの信仰とは。アブラハムは今から4000年前の人。信仰の父と呼ばれます。私たち日本人は異邦人ですが、信仰によって、霊的にアブラハムの子孫とされました。それを知ったときの驚きと感謝が思い出されます。私たちの信仰の父であるアブラハム、その信仰は次の2点に要約されます。
1死者に命を与え,2存在していないものを呼び出して存在させる神(無から有を呼び出される神)への信仰。その神を信じたゆえに、アブラハムは希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱いて信じることができました。百歳で自分の体が死んだも同然で、妻サラの胎も死んでいることを知りながらも、その信仰は弱まりませんでした。神は約束したことを実現させる力を持っていると確信していたからです。彼が握りしめていたのは、神の御言葉と約束でした。神の約束が御言葉としてあるから、見える状況がどんなに絶望的でも信じ得ました。神の言葉の力で、「光あれ!」と言われると(創世1:3)、その通りに光が出て来ます。
集会の人数が減少している今、私たちに必要なのは、無から有を呼び出される神への信仰、アブラハムの信仰です。それは私たちの信仰と繋がっています。パウロは、アブラハムが義と認められたのは、私たちのためでもあると述べます。主イエスの復活を信じれば、私たちも義と認められるからです。イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです(4章25節)と、ある通りです。「アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」(ヨハネ8章58節)、と言われた主イエス。希望の見えないコロナ禍の今、アブラハムの信仰を学び、主イエスにある希望と力を受け取りたいと願います。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-02-06 K・H兄)