2022年1月30日
主日礼拝

《建徳要旨》

①詩編90編:モーセの祈り。東洋的な響きがしますが、
この詩編の特徴は「神の怒り」が繰り返される点です。人間の罪に対する神の怒りです。11節:御怒りの力を誰が知り得ましょうか。あなたを畏れ敬うにつれてあなたの憤りをも知ることでしょう。私たちはどこで、自分の罪深さを知るのでしょうか。主イエスの十字架です。♫聖き魂の痛み悶えに わが罪深き思い悟りぬ(礼拝讃美歌116番3節)。神への信仰が増すにつれ、罪に対する神の怒りを知ります。そのような中で、続く12節で、生涯の日を正しく数える、とある意味はなんでしょうか?死を正しく健全に意識することで、一日一日が神の憐れみによって生かされていると気づきます。コロナは悪魔がばら撒いたと言う人がいますが、神はすべてをご存知で、解決はそこにあります。私たちは日々、十字架の主イエスを見上げ、そこで罪に対する神の怒りが赦しと愛に変えられたことを覚え、感謝します。  (K・H)

箴言1921:人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。(口語訳)創世記11~19章のアブラムとロトについて、特にソドム滅亡の所を読んでいて、全てに主の御旨だけが実現することを思わされました。主はアブラムに行くべき地を示され、彼を祝福し、大いなる国民にすると約束され(創世記12:1~3)、また彼の信仰を嘉せられ、神との正しい関係を持つ者と認められました(同15:6)。アブラムは主の御前に多くの失敗をしましたが、都度赦されました。彼の甥ロトは信仰の薄い自己本位の人でしたが、アブラムの執り成しの祈りにより主に守られました。聖書は私たち弱き人間の姿をあからさまに書いていることを思います。今私たちは高齢化、感染症蔓延拡大等に直面し、主を礼拝する集会についての問題点解決を図ろうと努めています。御旨をお示し下さい、と懸命に祈るように導かれました。   (S.K)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-01-30 K・H兄、S・K兄(23:45))