2022年1月23日
主日礼拝
《建徳要旨》
①Ⅰヨハネ4章20,21節:目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできません。
目に見える人を愛することは、目に見えない神を愛することと一つです。マタイ25章31~40節:飢え渇き、旅をし、裸で、病む人や牢獄にいる人にした事は、そのまま主にしたことです。「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたこと」とあります。「キリストは見えませんから、キリスト御自身に愛を表すことはできません。だから私はキリストが自分の目の前にいらしたら、して差し上げたいと思うことを目の前の人たちにします」(マザー・テレサ)。では私たちは神からどれほどの愛を受けているのでしょうか。Ⅰヨハネ4章10節、ヨハネ3章16節。更に、黙示録21章3,4節。悲しみも嘆きも労苦もない天国に入れていただけます。これほどの大きな愛に応えるには、目の前の人を自分のように愛することです。 (T・M)
②マタイ20章1~16節:先の者が後になり、後の者が先になる。
朝一番に雇われたのは、ユダヤ人でありエリート。夕方5時に雇われたのは異邦人であり弱い老人で、9時,12時,3時,5時と何回も働き人を探しに行く主人は神。最後の人は、1時間しか働いてないのに10時間働いた人と同じ賃金をもらっている。何故?朝から5時まで不安な心で待ち続けた人の心の中を見ておられ、働かねば生活できない貧しさへの思いやりと温かな主の眼差しでもある。だが、最初の人々は同じ賃金であることに不平を言った。働く意味は社会の他の人や神の恩に報い、仕える事。皆、平等(同じ賃金)で、労働量に応じた報酬としての賃金ではない。それが行いにはよらない救いであり恵み。歴史の現実は、異邦人が先に救いという賃金を受け取り、ユダヤ人は後になっている。喜びは後の人ほど大きい。(K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-01-23 T・M兄、K・H兄(16:00))