2022年1月16日
主日礼拝

《建徳要旨》

詩編231節:主は私の羊飼いですから、必要なものはみな与えてくださいます(リビング・バイブル)は詩編の中で最も有名な聖句の一つです。イエスさまは本来、ヘンデルのメサイアで歌われるように、♪王の王、主の主♪であられるお方なのに、この世で最も低い身分である羊飼いとなってこの世に来てくださり、私を青草の原、憩いの水のほとりに導いてくださると詠っています。羊である私たちには足りないものは何一つありません。必要なものはすべて与えられており、不足していると思うものは私たちにとって必要のないものなのです。それなのに、私たちはないもの探しの天才です。まるで80年代に流行った、ばんばひろふみの歌のように、♪幸せを数えたら、片手にさえ余る、不幸せ数えたら両手でも足りない♪と思うのです。羊飼いであるイエスさまは私たちを青草の原、憩いの水のほとりに導いてくださっています。そこは私のために用意された天の住まいです。私を苦しめる罪の源であるサタンも力を失い、私たちは永遠に神さまの御許で憩うことができるのです。私たちは今日もその前味としてパン裂きに与からせていただきました。ところが、そこに至る道には多くの危険や困難が立ちはだかっています。特に、目指す青草の原や憩いの水のほとりが近づいてくる高齢になると、弱さを覚えることも増えてきます。でも大丈夫。イエスさまがいつも共にいて、その杖や鞭で、それらの災いから私たちを守ってくださり、力づけてくださるからです。死の陰の谷を行くときには、その肩に背負ってさえくださるのです。イエスさまにすべてをお委ねし、イエスさまを見つめて、この世の旅路を歩むことができるのはなんと安心で、うれしいことでしょうか。 (N.H)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-01-16 N・H兄)