2021年12月12日
主日礼拝

《建徳要旨》

①ローマ725節:わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
パウロはダマスコへの途上で突然主に召され、福音伝道者にされました。彼は主を知って喜び、自分を捨て自分の十字架を背負い、主に従って生きようと努めます(マルコ8:34)。しかし、そうできない自分に気づき、苦悩します。真剣なパウロが懸命に祈った結果でしょう、彼は主に導かれて、自分は神に反逆する罪人の最たる者だと思い知り、主の十字架と復活は彼を救ってくださるためだったと深く悟らされました。主の素晴らしさをますます知らされて、いつも主への熱い思いを抱いて主をほめたたえる生涯となりました。イスラエルの同胞の救いのためなら、自分はキリストから離され、神から見捨てられた者となってもよい、と執り成す者となりました。モーセもそうでした(ローマ9:3、出エジプト32:32)。  (S・K)

詩編1032:主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。と言われても、すぐに忘れてしまうのが私です。忘れないためにはいただいた恵みの一つひとつを数え上げてみるのがよいと思います。でも、そうすると苦しみや悲しみも見えてきます。パウロがそうでした。Ⅱコリ12:9では、一つのとげがどうしても恵みだと思えず、取り除いてくださいと祈りました。すると、神さまは「わたしの恵みはあなたに十分である」と言われたのです。これはお前にはたくさんの恵みを与えているのだから、少しぐらいのとげは我慢しろと言われたのではありません。これも恵みだよと言われたのです。私たちには恵みを恵みとして受け止める力がないのです。この力は神さまに信頼することによって与えられます。ローマ8:28にある「万事を益としてくださる」との神さまの約束に信頼するのです。そうすれば、すべてのことが恵みだと教えられるのではないでしょうか。(N.H)

  先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-12-12 S・K兄、N・H兄)