2021年10月24日
主日礼拝

《建徳要旨》

①創世記22119節:わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる愛する独り子イサクを焼き尽くす献げ物としなさい、と神から命じられたアブラハム。黙って従い、イサクと出かけます。一緒に行った2人の若者に、また2人で戻って来ると語ります。何故そのようなことが言えたのでしょうか。イサクを屠り、いけにえにする覚悟で刃物を手にしているのに。それは、神がイサクを復活させて下さると信じたからです。それにしても、驚くべき信仰と従順です。神は、アブラハムがイサクを犠牲に献げるのを止め、代わりに羊を備えて献げさせた。そして、主の山には備えあり、と語り告げた。私たちは知っている、神は独り子イエスを私たちの身代わりとして十字架で屠られたことを。この愛が私たちを変えます。礼拝前と後の違いを示すのが、エゼキエル46章9,10節。君主であるキリストが一緒に入り,一緒に出るのです。(K・H)

②創世記2章16,17節:食べてはならないと命じられた掟を破り、神の愛と信頼を裏切ったアダムとエバ。罪の本質(原罪)の起源がここにある。これは人類すべてに共通する罪の経験であり、今まさに私たちの経験する原罪である。罪とは第一に、神に背き愛と信頼を破ること、第二に、原罪ゆえに人間関係も破壊させることである。言い換えると、大切な約束を破ると人は不幸になること。ギリシャ神話「パンドラの箱」と残された希望~人類に死と苦しみの宣告と同時にキリストによる救いの希望につながる。今日の問題として、アフガニスタンに於けるタリバンの復権で問われるのは善悪の判断基準をどこに置くかである。神の定めた法を人間的な思いで判断して決めるか否かの違いである。箴言3章5,6節:主を信頼し、自分の分別に頼らない。ヤコブ3章13節:上からの知恵に頼る。 (E・S)

  先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-10-24 K・H兄、E・S姉)