2021年8月29日
主日礼拝

《建徳要旨》

創世記4153節~429:「22年を経て~摂理の神~
飢饉は自然災害で、私たちが直面しているコロナ禍も最近は災害と呼ばれるようになりました。

再会:飢饉のため人々はエジプトへと穀物を買い出しに上る。もし飢饉が起こらなかったら、ヨセフの兄たちはエジプトへは行かなかったし、ヨセフも兄たちと再会するとは思いもしなかったはず。22年を経て、ヨセフは10人の兄たちと再会。ヨセフは兄たちに気づくが、兄たちは全く気づかない。そして、ヨセフの前に平伏す兄たち。17歳の時に見た夢が思い出された。兄たちはその夢を無いものにしようと考え、生意気な弟をエジプトに売った。それからは誰もがその夢のことなど忘れたとしても、神はお忘れにならない。この時、ヨセフは39歳。エジプト語を話し、通訳が間に居たので、まさかヨセフだとは思いもしない。スパイの疑いをかけられ、3日間牢獄に監禁させられた兄たちは、ヨセフの前で互いに言った。それによってヨセフは兄たちの心の中を知ります。兄たちは加害者として罪の意識を持ち続けていたことが分かります。ヨセフがすぐに名乗りを挙げなかったのは、兄たちが以前とは変わったか否かを知るため。42:15、16試すは復讐でも意地悪でもない。兄たちの本心を試す試練それがヨセフによって与えられます。その都度、以前の兄たちとは違った対応をヨセフは見ます。最後の決め手は、44章に於けるユダの執り成し。全力で弟ベニヤミンと父ヤコブを守ろうとしている。それを聞いて、ついにヨセフは身を明かします。45章1~3節。

摂理=予め+配慮する、人間の思いを超えた遠大な配慮。ルツ2章3節:生活に困窮したルツが落ち穂拾いに出かけた畑が図らずもボアズの畑だったのは、偶然ではない。すべては神の摂理の手の働き。ヨセフ物語は、この摂理を表現している。マタイ10章29節:数にも足りない一羽の雀をさえ、神は摂理の手で守られる。まして私たちにはそれ以上。

   先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-08-29 K・H兄)