2021年7月11日
主日礼拝

《礼拝》
礼拝讃美歌⇒115番
『誰か告げ得るや』
聖書⇒ヘブライ人への手紙6:2節
『大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。』
聖書⇒ヘブライ人への手紙6:6~7節
『キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。』

出エジプト記33:21~23節
『更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」』
礼拝讃美歌⇒305番(聖歌506番)
『岩なるイエスは』

聖書⇒ゼカリヤ書14:7節
『しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく/夕べになっても光がある。』
ヨハネの黙示録22:5節
『もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。』

 

《パン裂き》
聖書⇒ルカによる福音書22:19~20節
『それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』
礼拝讃美歌⇒142番(旧58番)
『渡されたもう』

 

《建徳》

聖書⇒申命記10: 17~18節
『あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。』

聖書⇒コリントの信徒への手紙一15: 1~9節
『兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。』
聖書⇒コリントの信徒への手紙一15: 10節
『神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。』

礼拝讃美歌⇒367番(聖歌582番)
『神の御子にますイエス』
礼拝讃美歌⇒223番
『主イエスはわが友』

《建徳要旨》

① 申命記10章17,18節:あなたたちの神、主は神々の中の神・・・寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。 私はお救いくださった主に心から感謝し、主を素晴らしいお方だと思っていますが、しかし、主を今一つ身近に感じられませんでした。ところが最近、私は主がそのお人柄とご性質が比類なく素晴らしくて、今生きて働いておられる、人格を持ったお方だ、と気付かされ、主は急に私にとってとても身近な存在に変わりました。十戒の記述からでさえ、私たちは主のお人柄とご性質を知らされます。もっと主御自身を知ろうと思って聖書を読むと、多くの発見があり嬉しくなります。主日礼拝は、敬慕する主から、お招きいただく特権を与えられた者が、呼び集められて、なんと素晴らしいお方か!と、感動して主をほめたたえ、主を礼拝する(拝む)時間です。 (S・K)

② Ⅰコリント15章1~9節:三日目に復活したこと、ケファに現れ・・・そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。キリストの十字架の死は、私たちの罪のためでした。私たちの身代わりとなって罪の刑罰を受けて死に、葬られ、復活された。全世界から聖地巡礼に来る人々は、空の墓を見て、イエスの復活を確認する。5-9節に「現れ」が繰り返される。復活の主イエスとの出会い。「あなたはイエスと出会っていますか。1対1で、あなたとイエスだけで出会っていますか。イエスが愛を込めてあなたを見つめておられることを魂の目で見、魂の耳で聞くことです」(マザー・テレサ)
そのために必要なのが聖霊の働きです。復活された主は弟子たちに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20章22節)。息=霊=いのち。復活の主を信じる者には誰にでも現れて下さいます。迫害者だったパウロにも現れて下さったから。 (K・H)

 

 

 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-07-11 S・K兄、K・H兄(11:26))