2021年6月13日
主日礼拝
《礼拝》
礼拝讃美歌⇒395番(旧135番)
『慈しみ深き』
聖書⇒ヨハネによる福音書14:16~17節
『わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。』
礼拝讃美歌⇒24番(旧159番)
『万(よろず)のもの永久(とわ)に知らす』
聖書⇒ルカによる福音書15:4~7節
『「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」』
礼拝讃美歌⇒84番(旧30番)
『良き羊飼いは』
《パン裂き》
聖書⇒マタイによる福音書26:26~29節
『一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」』
礼拝讃美歌⇒145番(旧60番)
『主イエスよわれらは』
《建徳》
聖書⇒マタイによる福音書6:6~13節
『だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、/
御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、/
天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、/
わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、/
悪い者から救ってください。』
聖書⇒マタイによる福音書6:7~8節
『また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。』
聖書⇒マタイによる福音書9:1~8節
『イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒瀆している」と思う者がいた。イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。その人は起き上がり、家に帰って行った。群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。』
聖書⇒ルカによる福音書11:13節
『このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。』
礼拝讃美歌⇒393番(旧61,131曲,賛美歌310番)
『静けき祈りの』
~今朝の建徳聖句~
だれも二人の主人に仕えることはできない。・・・ あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。 (マタイ6章24節)
《建徳要旨》
『祈りを教えてください』
マタイ6章6~13節:隠れたところにおられる父に祈りなさい。人を意識する以上に、見えない神の御前にいることを覚えたい。7節:くどくどと述べてはならない。密室での祈りは長く、公の場の祈りは短くありたいもの。8節:あなたがたの父は願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。①神は父です。私たちは神の子です。だから天の父と呼びます。②私たちが願うより前に、必要を神はご存知。マタイ9章1~7節は、中風の人の癒しが書かれていますが、運んで来た彼らは病気の癒しを第一に求めました。しかし、本当に必要なのは罪の赦しでした。そして,癒しはそれに付随しました。
主の祈り:第一は御名を崇めること。次に、御国(神の御支配)を求めること。神の御心を求めること。主イエスはゲッセマネの園で「父よ、できる事なら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願いどおりではなく、御心のままにしてください」と祈られ、神の御心を第一にされました。それに倣いたい。その後で、日々必要な肉体の糧を求めます。負い目=罪の赦しを祈ります。そのように祈って気付くのは、私たちが本当に必要としているのは、聖霊でありイエス様ご自身だと言うことです。ルカ福音書は、天の父は求める者に聖霊を与えて下さる(11章13節)と、結んでいます。
ジョージ・ミュラーの祈り。孤児院で今日食べる物がなくなった時、ミュラーは孤児全員を食堂に集め、「父よ、必要な糧を今日与えてください」と祈りました。そして、沈黙のうちに主を待ち望みました。すると、パンと牛乳を運ぶ車が導かれるように現れました。200年前の話ですが、祈りは力です。神の力です。それは私たちがつい口にしてしまう「祈るしかない」とは異なります。キリスト者の特権は祈りです。自分を無にして、聖霊に導かれて祈る時、神の力が働きます。それを味わい知りたいと願います。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-06-13 K・H兄)