2021年5月16日
主日礼拝

《礼拝》
礼拝讃美歌⇒98番(旧187番)
『馬槽の中に』
聖書⇒ヨハネの手紙一1:7節
『しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。』
礼拝讃美歌⇒472番(聖歌555番)
『十字架の血に』
聖書⇒ルカによる福音書15:3~7節
『そこで、イエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」』
礼拝讃美歌⇒84番(旧30番)
『良き羊飼いは』

《パン裂き》
聖書⇒コリントの信徒への手紙一11:23~26節
『わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。』
礼拝讃美歌⇒142番(旧58番)
『渡されたもう』

《建徳》

「パウロの生涯 ① 回心前後」
聖書⇒使徒言行録9:1~19節
『さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。』
聖書⇒使徒言行録7:58~8:1節
『都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。』
聖書⇒ガラテヤの信徒への手紙1:13~16節
『あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、…』

礼拝讃美歌⇒316番(旧88番)
『わが眺むるは』

《建徳要旨》

使徒9章1~9節:サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。パウロのユダヤ名はサウロで、サウル王に因んでいます。ローマの市民権を持つ家柄に育ち、ユダヤ教の中でも厳格に律法を守るファリサイ派に属しました。この時25歳の若者でした。サウロは神への熱心さから、キリスト者を見つけると男女を問わず縛り上げ、殺害さえしました。そんな彼を天上のイエスは、太陽よりも強烈な閃光で圧倒し、彼の名を呼び、キリスト者=イエスであることを告げます。イザヤ63章9節:彼らの苦難を常にご自分の苦難とし…。十字架で死んだイエスは生きている。キリスト者の中に生きている。衝撃を受け、三日間祈り続け、劇的な回心をします。その背景には殉教者ステファノの最期(7章54~60節)も影響したに違いない。彼の人生は180度転換します。神はアナニアを遣わし,「兄弟サウルよ」と呼ばせます。パウロにとって主イエスとの出会いは、突然の出来事に思えたでしょう。しかし、イエスにとっては、十分な準備をし待っていた出会いでした。それは私たちにとっても同じです。信仰は主イエスとの出会いに依りますが、始まりは主イエスの方から来るものです。だから後に「わたしは徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。…しかし、私を母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった」と、述べています(ガラテヤ1章13~15節)。すべては恵みなのです。親譲りの2世クリスチャンであっても、パウロと別ではありません。どこかで決定的な出会いが主イエスとの間で起きています。私の苦しみや問題を主イエスは、ご自分の苦しみとして理解してくださるのです。何と大きな慰め、励ましでしょう。(K・H)

 

 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-05-16 K・H兄)