2021年5月2日
主日礼拝
《礼拝》
礼拝讃美歌⇒13番(旧153番)
『わが主よ星の輝く』
聖書⇒ヨハネの黙示録4:8節
『この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」』
礼拝讃美歌⇒23番(旧152番)
『聖なる聖なる聖なるかな』
聖書⇒ヨハネによる福音書3:16節
『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』
礼拝讃美歌⇒438番(聖歌392番)
『神はひとり子を』
《パン裂き》
聖書⇒マルコによる福音書14:22~25節
『一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」』
礼拝讃美歌⇒154番(旧193番)
『罪も咎も汚れもなき』
《建徳》
聖書⇒エレミヤ書17:1;9節
『ユダの罪は/心の板に、祭壇の角に/鉄のペンで書きつけられ/ダイヤモンドのたがねで刻み込まれて子孫に銘記させるものとなる。…人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。』
聖書⇒テモテへの手紙一1:15-16節
『「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。』
礼拝讃美歌⇒127番(旧211番)
『十字架の許ぞ』
《建徳要旨》
エレミヤ17章1節:ユダの罪は、心の板に、祭壇の角に 鉄のペンで書きつけられ ダイヤモンドのたがねで刻み込まれて、子孫に銘記させるものとなる。神道では、罪を表面に付いた穢れやほこりだと見ているが、聖書はもっと重く深いと見る。罪の赦しには、動物を犠牲にする程。レビ記に、それが詳しく書かれているのは、罪の解決が一番重要だから。命の問題だから。動物を犠牲にするのは残酷に思えるとしても、私たちは生きるのに動物を殺して食する。新約聖書では、私たちの罪の身代わりとなるイエス・キリストの十字架がそれに代わる。ミャンマー他で起きている非人道的な事は、人間の罪の深さを示す。♪底方も知られぬ人の罪(礼讃127番)♫ 底が見えないほど罪は深いと気付く。1テモテ1章15節「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の最たる者です。人は皆、罪人。政治の世界を見ると、それがよく分かる。しかし、自分たちが神の前にどうしようもない罪人だとは思っていない。だから、キリストのもとに行こうとはしない。先輩兄弟は、「私ほど悪い者はいません。そんな愚かで罪深い私を救うために、御子キリスト様は十字架のお苦しみをお受けになり、私の罪の身代わりとなってくださり、贖ってくださいました。本当に何と申し上げて良いか。唯唯感謝して崇めるほかはありません」と、涙ながらに語られた。それを知って衝撃を受けた。そのように言った人を知らなかった。ルカ18章の徴税人は、胸を叩きながら「神様、罪人の私を憐れんでください」と祈った。罪人の中で一番罪深い者との意識。到底救われるに値しない者なのに、そんな私を憐れみ、限りない忍耐を示された主イエス。私たちの信仰はそこに懸かっている。イエスは言われた。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである(マルコ2章17節) (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-05-02 K・H兄)