2021年7月4日
主日礼拝
《礼拝》
礼拝讃美歌⇒8番(旧2番)
『御旨のままに』
聖書⇒コロサイの信徒への手紙2:6~7節
『あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。』
礼拝讃美歌⇒343番(聖歌505番)
『命のもとなる』
聖書⇒詩編 32:1~2節
『いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。』
使徒言行録8:32~33節
『彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」』
使徒言行録8:36~39節
『道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。』
礼拝讃美歌⇒274番(旧302番)
『御国に住まいを』
《パン裂き》
聖書⇒コリントの信徒への手紙一10:16~17節
『わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。』
礼拝讃美歌⇒148番(旧94番曲)
『主の御旨により』
《建徳》
聖書⇒コヘレトの言葉12: 1~8節
『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。その日には/家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。粉ひく女の数は減って行き、失われ/窓から眺める女の目はかすむ。通りでは門が閉ざされ、粉ひく音はやむ。鳥の声に起き上がっても、歌の節は低くなる。人は高いところを恐れ、道にはおののきがある。アーモンドの花は咲き、いなごは重荷を負い/アビヨナは実をつける。人は永遠の家へ去り、泣き手は町を巡る。白銀の糸は断たれ、黄金の鉢は砕ける。泉のほとりに壺は割れ、井戸車は砕けて落ちる。塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。なんと空しいことか、とコヘレトは言う。すべては空しい、と。』
聖書⇒詩編71編9節
『老いの日にも見放さず/わたしに力が尽きても捨て去らないでください。』
聖書⇒詩編71編18節
『わたしが老いて白髪になっても/神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を/来るべき世代に語り伝えさせてください。』
聖書⇒イザヤ書46: 3~4節
『わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。』
聖書⇒使徒言行録8編26節
『さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。』
礼拝讃美歌⇒375番
『日々いかなる時にも』
《建徳要旨》
①コヘレト12章1~8節:苦しみの日々が来ないうちに…。3千年前のコヘレトは、老いを苦しみの日と言いました。そして、老いの姿を描きます。手足が震え,猫背になり腰が屈む。歯が減り、目はかすみ、耳が遠くなる。食欲が低下し、歌の声が低くなり、鳥の声で朝早く目覚め、頭は白髪となり、いなごが重荷を引くようにヨロヨロ歩き、アビヨナ(強精剤の一種)が用いられる(3~5節)と。そして、死へ。もしそれで終わる命なら、何と空しいことか(8節)。だから、青春の日々にこそ、お前の創造主を心に留めよ(1節)。次に、詩71編18節。わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください。後期高齢者→高貴高齢者。老人がどう扱われているかで、その社会が分かる。詩『最上のわざ』を朗読。…人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり 弱って、もはや人のために役立たずとも 親切で柔和であること。老いの重荷は神の賜物…神は最後に一番良い仕事を残してくださる。それは祈りだ。… (K・H)
②使徒8章26節:エルサレムからガザに下る道に行け。そこは寂しい道である。昨年4月,大下牧師陽子夫妻は副牧師の立場を離れて、益子教会に遣わされました。長年牧師不在で信徒も居ない教会堂は、まさに寂しい荒れはてた状態でした。このガザは、今は荒れ果てている(口語訳)。しかし、エチオピアの高官(宦官)を救うため、神は執事フィリポを遣わされました。この出会いからアフリカに福音がもたらされます。彼は宦官の故に救いから除外されていましたが、キリストの救いに与り喜びにあふれて帰国しました。大下牧師が掲げたビジョンは礼拝を第一とし主の御言葉に生きる教会。益子の地に根付いた教会でした。コロナ禍でも礼拝を守り続け、ホームページやブログにより、教会に導かれる人が起こされているのは感謝です。 (E・S)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-07-04 K・H兄、E・S姉(23:27))