2021年3月28日
主日礼拝
《礼拝》
礼拝讃美歌⇒5番(旧161番)
『いときよきみかみよ』
聖書⇒イザヤ53:5~6
『彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。』
礼拝讃美歌⇒118番(旧190番)
『いとたえなりや』
聖書⇒フィリピの信徒への手紙4:6~7節
『どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。』
聖書⇒ペトロの手紙一1:22~25節
『あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。』
礼拝讃美歌⇒476番(旧266番)
『いかなるめぐみぞ』
《パン裂き》
聖書⇒コリントの信徒への手紙一11:23-26節
『わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。』
礼拝讃美歌⇒155番(旧208番)
『かみのこひつじは』
《建徳》
イザヤ40:5,7-8節
『主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。』
使徒言行録2:42-47
『彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。』
礼拝讃美歌⇒120番(旧199番)
『おかのうえにたてる十字架』
《建徳要旨》
1、Ⅰペトロ1章24,25節:草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることはない。先日、桜の花が美しく咲く同信会墓地で納骨式があり、この御言葉を通して、人の命の儚(はかな)さと主の御言葉の確かさ、永遠性を示される。イザヤ40章7,8節からの引用で、直接的にはイスラエルの民がバビロン捕囚から解放される約束の預言です。「肉なる者」(6節)つまり、全ての人に対する福音のメッセージであること。万葉の歌人も桜の花に喩えて詠ったように、日本人は昔から人生の儚さと無常を知る。しかし、儚く滅びる私たちの罪を赦して永遠の命を与えるために、十字架の救いを成就された主の愛により、信仰と希望の人生を歩むことができます。今回の緊急事態宣言中に、東日本大震災から10年を迎えた折、一冊の絵本から南相馬市小高教会の幼稚園児たちが、放射能汚染のため各地に離散し、友だちとウサギたちとの悲しい別れ、幼い身で経験した人生の無常さと、小さき者を見守る主の愛を知り、心を動かされました。 (E・S)
2、使徒2章42~47節:彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。使徒が健在だった初代教会では、この4つが中心でした。①御言葉から福音が語られ、②喜びと真心をもって一緒に食事と交わりがなされ、③主イエスの死を覚えるパン裂きが行われ、④賛美と感謝の祈りが熱心に捧げられていました。パンを裂くことが46節にも繰り返されていて、実際に主イエスがパンを裂かれたお姿が皆の脳裏に焼き付いていたことが分かります。そうした礼拝は民衆全体から好意を持たれ、「主は」そこに参加し救われる人々を日々仲間に加えて1つにされたのです。主がそうされたのです。昨年からコロナ禍で②はできませんが、私たちが目指す集会と礼拝の在り方が、そこに示されています。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-03-28 E・S姉、K・H兄)