2021年3月14日

主日礼拝

 

《礼拝》

礼拝讃美歌⇒98番(旧187番)

『まぶねのなかに』

聖書⇒ガラテヤ6:14

『しかし、この私には、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この方を通して、世界は私に対し、また私も世界に対して十字架につけられたのです。』

礼拝讃美歌⇒236番(旧197番)

『うつりゆく世にも』

聖書⇒黙示録4:8〜11節

『この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その表にも裏にも一面に目があった。それらは、昼も夜も絶え間なく唱え続けた。/「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな/全能者である神、主。/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」これらの生き物が、玉座に座り、世々限りなく生きておられる方に、栄光と誉れと感謝とを献げる度に、二十四人の長老は、玉座に座っている方の前にひれ伏し、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、その冠を玉座の前に投げ出して言った。「私たちの主、また神よ/あなたこそ/栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。/あなたは万物を造られ/万物はあなたの御心によって存在し/また造られたからです。」』

礼拝讃美歌⇒23番(旧152番)

『聖なる、聖なる、聖なるかな』

 

《パン裂き》

聖書⇒第一コリント11:23~26

『私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りを献げてそれを裂き、言われました。「これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。」食事の後、杯も同じようにして言われました。「この杯は、私の血による新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこれを行いなさい。」だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。』

 

礼拝讃美歌⇒149番(旧220番)

『しょくたくにまねかれ』

 

《建徳》

雅歌2章10~13節:『春の喜び』ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。花は地に咲き出で、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。

冬は去り、春が来た。花が一斉に咲き出し、小鳥の歌声も聞こえる。春の喜びを歌っています。私にとって忘れられない春があります。東北山形県で迎えた初めての冬と春です。人間だけでなく、動植物も、長い冬を耐えて、春を迎える喜び、それを実感しました。ある小学校の授業で、「氷が融けたら何になる?」との質問に、「水」ではなく、「春」と答えた生徒がいた。そこから読み取れるのは、氷と雪に閉ざされた冬=人の魂を寒さに閉じ込める罪の象徴。その罪から解放し、救うために人となられたのがイエス・キリストです。

三浦綾子姉は、罪を『氷点』と表現しました。愛のない冷たい心、氷点を融かしたのがキリストの愛です。じっと耐えて春を待ちわびる雪国の人たち、そこで学んだ忍耐についてヤコブ5章11節:忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。恐るべき試練に遭い苦しんだヨブでしたが、神は最後には慈しみと憐れみで包まれました。何の意味もなく人を苦しめ悩ますことを神は決してされないからです。

もう一人、兄たちによって奴隷に売られたヨセフの忍耐を思います。幾多の試練に遭いながらも、神を信頼しました。その結果、ヨセフは兄たちを赦し、多くの人に救いをもたらします。神の御心を行なって約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです(ヘブライ10章36節)。忍耐の向こうに神が備えた春の喜びがある。

コロナ禍は忍耐の時、家に閉じ込められた冬の季節と同じ。でも、解放される春は必ず来ます。明けない夜はなく、止まない雨もない、その時まで・・・・。主イエス御自身が忍耐の人ですから、その主イエス様を見つめて行きたい。冬が去り春を迎える喜びは、主の十字架によって罪から解放され救われた喜びにつながります。 (K・H)

 

礼拝讃美歌⇒386番(旧 無)

『主に任せよ』

 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-03-14 K・H兄)