2021年3月7日
主日礼拝
《礼拝》
礼拝讃美歌⇒476番(旧266番)
聖書⇒フィリピ3:7~9
礼拝讃美歌⇒132番(旧196番)
聖書⇒ガラテヤ3:13.14
礼拝讃美歌⇒168番(旧53番)
《パン裂き》
ルカ22:19.20
礼拝讃美歌⇒151番(旧216番)
《建徳》
聖書⇒詩編42:6.7
⇒詩編103:1~5
礼拝讃美歌⇒490番(旧276番)
《建徳要旨》
Ⅰコリント15章1~10節:私たちの拠り所である福音とは、キリストが旧約聖書にかいてあるとおり私たちの罪のために死なれ、葬られたこと、そして、旧約聖書にかいてあるとおり三日目に復活したことです。主の十字架と復活、それが最も大切なこと。罪を犯した私たちではなく、罪のないキリストがその身代わりとなって死なれたのは、愛と憐れみのゆえ。死後キリストは光と希望のない陰府に降られた。命の君が私たちと同じ死を受けられたのは驚き。それは、すべての人を救うため。キリストは死で終わらず、聖霊として新しい命に復活された。そして信じられないでいるケファ、12弟子、五百人の兄弟たち、主の弟ヤコブ、すべての使徒、最後にパウロにその身を現わされた。6回「現れ」と繰り返されている。復活の主と出会い、信仰を新たにされている。出会いはこちらが求めたからではなく、主の方から「現れた」。その、出会いが福音であり、神の恵み。
では、私たちはいつ、その主の現われと出会ったのか。私は20歳の時、イエスを自分の救い主と信じた。はっきりした自覚はなかったが、その時、復活の主キリストと出会っている。主の現れは、過去のその時点だけのことではない。その後も継続して今に至っている。なぜなら主は復活され、今も生きて働かれているから。ゴスペル讃美歌は次のよう。
♫主イエスは わがため 十字架にかけられ
わが罪あがない墓より よみがえられた
主は今 生きておられる わが内におられる
すべては主の御手にあり 明日も生きよう
主がおられる♪
主よ、あなたは目には見えない御方。なのに私はあなたを固定的・人間的に捉えようとしていました。だから、あなたのことが判然としませんでした。あなたはいのちの聖霊として、闇を照らす光として、私の内側に居られます。燃えても燃え尽きない不思議な柴としてモーセに現れた神は、心と霊を燃やす火として私の中に生きておられます。そして、絶えず私に「現れて」くださっています。それに気づく者とならせて下さい。それが私の拠り所、福音です。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-03-07 K・H兄)