2021年2月28日
主日礼拝
《礼拝》
礼拝讃美歌⇒476番(旧266番)(いかなる恵みぞ)
聖書⇒フィリピ3:7~9
礼拝讃美歌⇒132番(旧196番)(栄えの主イエスの)
聖書⇒ガラテヤ3:13.14
礼拝讃美歌⇒168番(旧53番)(妙なる救いの御業をなして)
《パン裂き》
ルカ22:19.20
礼拝讃美歌⇒151番(旧216番)(ああ主よ我ら御前に出て)
《建徳》
聖書⇒詩編42:6.7
⇒詩編103:1~5
礼拝讃美歌⇒490番(旧276番)(尊きかな我さえ愛し給う)
《建徳要旨》
詩編42編6節:なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。これは自分に向かっての語りかけ。落胆し、絶望している作者は、「神を待ち望め」と自分に言う。このようになることが誰にもある。詩編103編書き出し、1~5節:わたしの魂よ、主を讃えよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主を讃えよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。私の内にあるもの=内臓や心。魂はその人全部。意識の最も深い部分。肺がんにより43歳で召された原崎姉が最期に綴った詩「わが礼拝」:わが呻きよ、讃美の歌となれ、わが苦しい息よ、信仰の告白となれ、わが涙よ、わが歌となれ、主をほめ讃える歌となれ、わが病む肉体から発する すべての吐息よ、呼吸困難よ、咳よ、主を賛美せよ、わが熱よ、汗よ、わが息よ、最期まで主をほめ讃えてあれ。(彼女は渾身の力で、十字架の主と一つになって魂を込めて主をほめ讃えた。)
詩編の作者は目を自分から主と、主がして下さったことに向け「主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出し、慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ちたらせ…」と、主イエス・キリストが与えて下さった救いを語る。それを決して忘れるな、と自分に語りかけている。私もそう語りかけたい、と切に願う。14~16節に、主は・・・わたしたちが塵にすぎないことを御心に留めておられる。人の生涯は野の草のよう。野の花のように咲く。風がその上に吹けば、消えうせ 生えていた所を知る者もなくなる。人間のはかなさ、塵にも等しい者をも、主は御心に留めてくださる。はかなさ故、その人が生きていた事さえ知る者もなくなる現実を、ビワの葉をもらった独居老人に見た。その家は取り壊され、あのビワの木も根こそぎ無くなっていて今は、三階建てのマンションが建設されている。その前に佇むと、上記の聖句が思い浮かんだ。それでも、わたしの魂よ主を讃えよ、と自分に語りかけたい。塵にすぎない私でも御心に留めて、決して忘れられない主が、いつもすぐ傍に居てくださるからです。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-02-28 K・H兄)