《建徳要旨》

ヨハネ20章31節:これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシア(救い主)であると信じるためであり、また、信じてイエスの名により(永遠の)命を受けるためである。

 福音書が4つあるのは、マタイはユダヤ人宛に、マルコはローマ人宛に、ルカはギリシャ人宛に、即ち、すべての人に宛てられています。執筆目的は冒頭の聖句の通りです。主イエスの十字架と復活はAD30年のこと。福音書はすぐには書かれませんでした。その必要がなかったからです。しかし30年後、使徒たちが殉教などで生きた証人が召されるにつれ、主イエスの福音を文書に残す必要が出て来ました。四福音書を読んで気づくのは、十字架に関する記述の多さです。どのようにして主イエスは呪われた十字架で惨めな死を遂げられたのか、その時、弟子たちはどうしたか。皆、主を見捨てて逃げたことが正直に書かれています。ユダの裏切りとペトロの否認もありました。にもかかわらず主は、そんな者たちのために十字架で死なれたのです。その時は理解できなかったことが、聖霊を受けて、その愛がしみじみと分かりました。それから弟子たちは、旧約聖書を主の死と復活の視点で読み直しました。そして、圧倒的な主の愛に包まれたのです。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15章13節)。更に、「しかしわたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマ5章8節)。これは驚き超えた。

弟子たちは礼拝に集まるたび、主の御死とその愛を語り合いました。そこには感恩の念と、自らの罪深さと悔い改めそして、罪が赦された喜び。それらが混然となって、熱い思いとなって礼拝の場に満ち溢れていたに違いありません。熱気です。私たちキリスト同信会の初代、明治期の礼拝もそれと似ていた、と思われます。

ヨハネは100歳近くまで生かされ、主から受けた命に支えられ既にあった3つの福音書を踏まえた上で、キリストへの信仰と永遠の命のために福音書を書いたのです。 (K・H)

 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-02-21 K・H兄)