<建徳> Ⅰヨハネ5章13節:あなたがたが永遠の命を持っていることを知ってほしいからです。多くのクリスチャンは永遠の命を持っていること自体に確信がありません。救いの確信が曖昧(あいまい)です。そこで、ヨハネは上記の聖句を書きました。主を信じて救われ永遠の命が既に与えられていることを、読者に知ってほしいのです。救いの確信が持てないのは、自分を見るからです。私は信仰が薄いし、聖書も真面目に読んでいないし…、と救いの根拠を自分の中に求めるからですが、聖書が示しているのは、救いの根拠が私たちではなく神にあることです。それがエゼキエル書に明示されています。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。(36章22節) ここの「ため」は目的ではなく根拠を示す「ため」だからです。私たちのため(私たちの言動が根拠)にではなく、神の聖なる名のため(神御自身が根拠)に救うと預言しているのです。同じ「ため」はイザヤ43章25節にもあります。わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さないことにする。罪の赦しの根拠は、私たちではなく、神にあるのです。この読み方を知った時、目から覆いが取り払われたようでした。救いはキリストにあると分りました。私たちの罪のために死なれた十字架と、三日目に復活されたことが救いの根拠です。永遠の命・救いは何かをして勝ち取るものではなく、恵みとしていただくものです。だから、目を向けるべきなのは自分ではなく、キリストです。信じているのに、信仰も行いもいい加減な私だからダメかも…。いいえ、私がどうかでは決してありません。主の十字架と復活を仰ぎます。そこに確かな救いがあります。 (K・H)
礼拝讃美歌 476番(いかなる恵みぞ かかる身をも)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-01-17 K・H兄)