ヨハネ1章35~42節:イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。

今、コロナ禍で世界中の人々のマスク着用が日常化し、そのまなざしは不安で暗い。一方、桂由美さん(ブライダルファッションデザイナー)が古代のシェバの女王の国を訪れ、全身黒衣で覆った女子大生たちの目が表情豊かで明るいのに感動しているテレビを見た。そして「最初の弟子たち」の記事中に、「見る」の言葉が続き、その内容を味わわされた。

●イエスを見つめて(35節)~洗礼者ヨハネは、旧約最後の預言者として、主イエスを「神の小羊」と証しし、使命を果たす。
●彼らを見て(38節)~アンデレとヨハネとを振り返り見られた主の強い意思と、深い御心が示されている。
●「来なさい。そうすれば分かる」(39節)~他の訳に、「来なさい。そして見なさい」とあり、「見る」には「見て分かる」の意味がある。主の許に行って、主御自身を見れば分かる。
●「わたしたちはメシアに出会った」(41節)~アンデレたちは主のところに泊まって教えを学ぶことを決意し、その結果、主イエスがメシアであることが分かり信じた喜びが表されている。その喜びを兄弟シモンに告げた言葉「出会った」は、「発見した」「見出した」と言うギリシャ語の言葉。
●イエスは彼を見つめて(41節)~シモンは主に見つめられて、ケファ(ペトロ)と呼ばれる弟子になった。 私たちは礼拝でパンと杯に与り、主の十字架と復活のお姿を仰ぎ見、主の愛と赦しのまなざしが注がれる恵みを感謝しよう。主とまなざしを交わすことが出来る信仰を与えられますように。 (E・S)

礼拝讃美歌 300番(神はわがやぐら わが強き盾)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2020-11-08 E・S姉)