1、ヨハネ18章1~11節:この人々を去らせなさい。十字架の前夜、主を捕らえに来た祭司長たちは「誰を捜しているのか」と問う主に,「ナザレのイエスだ」と答えました。一方、ペトロはマタイ16章で、主は「メシア」であると答え、パウロはフィリピ2章で、「人間の姿で、この世に来られた神だ」と証ししています。では、あなたは「主は〇〇である」に、どんな言葉を入れますか。18章11節では、主はパウロの告白したとおり、「神さまであり、同時に完全な人間である」ことを示されています。
でも、8節に、もう一つのお姿が隠されていると気づきました。「主は私たちの弱さを知って、逃れる道を開いてくださるお方」だということです。主は十字架によって、ご自分一人が犠牲になり、私たちに罪の奴隷から逃れる道を開いてくださり、日々の試練にも逃れる道を備えていてくださるお方なのですね。(N・H)

2、雅歌1章1,2節:どうかあの方が…わたしにくちづけしてくださるように。くちづけは神の言葉なるあの方(キリスト)に触れること。そして,主の命を聖霊として受けます。マルコ5章25~29節:この方の服にでも触れれば、癒していただける。触れた女は直ちに癒された。6章56節:触れた者は皆いやされた。信仰と祈りによって主イエスに触れる。それを雅歌は口づけと表現している。旧約聖書(雅歌)はイエス・キリストを通して読むもの。
実践している事。朝起きたら「主よ、心の戸を開きますから私の中にお入りください」と祈る。そうすると自分ではなく、キリストが働かれる。夜寝る前には、「主よ、今眠ろうとしています。今日はとてもよい日でした。あなたは私に多くの喜びを与えて下さいました。今日はとても楽しい一日でした」と祈り、今日、出会ったお一人お一人の名前を口にし、に有り難うと感謝する。そうすると翌朝の目覚めが違う。 (K・H)

礼拝讃美歌 503番(天つ真清水 流れ来て)

(聖書の言葉) イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいま した。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。 (Ⅰヨハネ3章16節)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2020-11-01 N・H兄、K・H兄(25:50))