1、ルカ23章32~43節:イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。…」ユダヤに於ける処刑法は石打。それなのに主イエスは、ローマの処刑法である十字架にかけられた。2人の犯罪者と共にローマに反抗し騒動を起こした政治犯と見なされたから。前夜、一睡もしていない上、激しく鞭打たれたイエス様は、ゴルゴダまで十字架の横木を担いで歩けず、何回も倒れた。イエス様を歓迎していた民衆が途中から変節し、十字架刑を求めたのは、ローマ支配から解放してくれる王を求めていたから。人々から嘲笑される中で、イエスは赦しを祈られた。それを見聞きしていた犯罪者の1人が、イエスを信じた。彼は人間の力・武力でローマからの解放に努めた。無力だが愛に溢れたイエスを見て、この人は本当に神の子だと思った。イエス様が十字架上で、わが神,わが神,なぜ私を,お見捨てになったのですか、と詩22編冒頭を叫ばれた。それは詩23編全体を意味し、23,24節からは賛美に変わっている。そして最期は父神に霊を委ねている。十字架上の1人の犯罪者は、イエスが神の子であると信じた最初の人だったと思う.そんな彼をイエス様は、その場で救われた。(S・K)
2、ヨブ記42章7~17節:ヨブが友人たちのために祈ったとき主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を2倍にされた。自分を酷く攻撃した友人たちのために祈ったヨブを、主は2倍の祝福で報われた。主は奪ったものを、倍にして返される。財産である家畜は2倍になったが、子どもは同じ数。古代に於いては、死んだ子は失われたものとは考えられなかった。地上からは取り去られたが、神の御許で生きている。そのことをヨブは信じた。だから、同じ数の子どもであっても2倍になる。10人は墓の彼方に居て、ヨブが死んだとき、再会できた。ヨブは旧約の人ですが、自らの破れを通して死後の命と復活を見ることができた幸いな人。 (K・H)
礼拝讃美歌 370番(光の丘にて陣取りなす主の強者)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2020-10-18 S・K兄、K・H兄(31:45))