1、コヘレト8章15節:太陽の下、人間にとって飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。これって、コヘレト(伝道者)にあるまじき言葉です。確かに、この世では善人が衰え、悪人が栄え、立派な葬儀をしています。この世は不条理に満ちています。それなら、この世の快楽を求めて生きた方がまし、というのもわかります。でも、ここには、「神さまを畏れ敬わないなら」という言葉が隠されています。彼は、神さまこそ最大の不条理をなさったというのです。神さまの目には、この世に正しい人は一人もいません。だから善人が栄え、悪人が滅びるのなら、生き長らえる人は一人もいないのです神さまはこの最大の不条理を実現するために、人間の姿でこの世に来てくださり、十字架で私たちの罪を贖い、永遠に生きる者としてくださいました。だから、「神を畏れ敬う者」こそ最高に幸福な者であり、私たちに「霊の葬儀」は要らないというのです。(N・H)
 
2、ヨハネ3章16節:神は、独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が独り子イエスをお与えになったのは、世を救うためです。与えるには降誕と十字架の意味があります。では、世とは何でしょうか。神が創造された人間世界のことですが、新約聖書で「世」は神に背き、敵対する罪人を指します。愛されるよりもむしろ、滅ぼされて当然なのが世です。この世の君である悪魔の支配下にあるからです(ヨハネ14:30)。その支配から人類を救うために、独り子は人として世に来られ、身代わりの十字架にかかられました。ガラテヤ1章4節。これが福音ですが、自らが罪人であること、滅ぼされて当然の者だと分かる時、驚くべき恵みであり救いであることが分かり、喜びが溢れます。(K・H)
 
礼拝讃美歌 476番(いかなる恵みぞ かかる身をも)
礼拝讃美歌 208番(汚れと争いは いつの世にか消)
 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2020-10-04 N・H兄、K・H兄(33:56))