1、マタイ6章24節:だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。神と富とに仕えることはできない。神を主人にするのか、この世を主人にするのかのどちらか。図にすると、心を表す円がある。円の中心には椅子があり、1つは自分が座しイエスは円の外にいる。もう1つは、イエス様が中心に座し私は傍にいる。一番良いのは、後者。だから、中心に座す自我をイエス様に明け渡すこと。イエス様が真ん中に座って下さるのが理想だが、なかなか委ねられない。そこで、続く25~34節が述べられている。すべて委ねられなくても、神の国と神の義を最優先すれば良い。イエス様は「わたしの愛に留まりなさい」と言われる(ヨハネ15章9節)。大きな主の愛の中いること。(T・M)
2、ヨブ38章25~27節:人のいない大地にも、人間のいない荒れ野にも雨を降らせ…。地球は誰のもの?多種多様な生き物を創造された神のもの。人間だけのものではない。それを示すのが上の聖句。人のいない大地や荒れ野に雨を降らせるのは無駄?聖書では雨は恵み。主イエスは、「悪人にも善人にも雨を降らせ、正しい者にも正しくない者にも太陽を昇らせる」(マタイ5章45節)神を父と呼ばれた。自分が悪人で、正しくない者=罪人だと分かった者は感謝に溢れる。自分は正しい者、善人だと言い張るヨブにも、主イエスは語りかけたに違いない。 (K・H)
礼拝讃美歌 277 番 (我らの讃美は限りなし栄光主に)
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。 そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは 明日自らが思い悩む。 (マタイ6章33,34節)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2020-09-20 T・M兄、K・H兄(19:42))