1、ヨハネ1章1~3節:初めに言があった。言は神と共にあった。…万物は言によって成った。60年に及ぶ信仰生活を振り返っての感謝。それは御言葉の尊さ、力強さを今も感じていること。しかし、山あり谷ありだった。御言葉の尊さ、素晴らしさ、威力を教えてくれたのが冒頭の聖句。言葉には、人間の言葉と神の言の2つがあり、すべてのことは全能の神の御心によって成る。これこそ真の宗教、真の神だと確信した。ところが社会に出て忙殺される中で、それまでの確信が変化し始めた。神に頼るよりも、自分の力だけで何とかしようとした.あれだけ信頼していた神に祈ろうとしなくなった。そんな時に与えられた御言葉が、悩みの日に私を呼べ。わたしはあなたを助け…(詩50編15節・口語訳)。更に、神を呼んだ後、あなたは私を崇める、との約束まであった。私が神を忘れ、頼ろうとしない時にも、神は愛の眼差しを注いで下さっていたと気づいた。(T・M)
2、ヨブ9章32~35節:あの方(神)とわたしの間を調停してくれる者 仲裁する者がいるなら…。ヨブは友人に躓(つまず)き失望した。更には、何も答えてくれない神にも疑いを抱く。そのような中で、ヨブが切実な思いで求めたのは、自分と神との間に立つ仲保者。神であり人でもある御方。これまで信じ切っていた神は、今や敵となって苦しめる。更に、友人らにも裏切られ、罪罪と責められる。そうしたどん底から、このような時にも…高い天にはわたしを弁護してくださる方がある(16章19節)に至る。神と人の仲保者イエス・キリストを見ている。ヨブと同じく神にも人にも裏切られ見捨てられ十字架の苦しみに喘ぐ方。Ⅰテモテ2章5節、ローマ8章34節:死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。人に躓いてキリストのもとに行く。 ヨブはイエス・キリストを指し示している。 (K・H)
礼拝讃美歌 413番(地の塵に等しかり何一つ)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2020-08-23 T・M兄、K・H兄(11:23))