1、ローマ8章26~28節:万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
すべてが益(善)に変わる。その時はマイナスにしか思えないことも、最後には益となる。一生の間には辛いことや挫折もある。しかし最期は最善で終わる。でもどうしてそうなるのか。26,27節から,万事が益となるのは聖霊の助けと執り成しによると分かる。言葉に表せないうめきをもって聖霊は執り成し助けて下さる。助けの原語は、共に・代わって・執り上げるの3つの合成語で、私たちと一体化して共にうめき、罪を身代わり祈りを執り上げて下さるのが聖霊の助け方。そうして人や出来事が私たちのために共に働き、最善へと変えてくださる。だから、苦難や失敗・挫折があっても、最期は良い人生、良い一生だったと言えるのが神を愛する者たち。だから物事は必ず最善で終わり、私たちの一生も最期は感謝で終わる、と信じる。 (K・H)
2、ルカ福音書8章4~8節:ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
ガリラヤ、ユダヤから来た、主に激しく反発するファリサイ派の人々、律法学者たちも混じっている大勢の群衆を前にされ、主はたとえを用いて神の国の福音を話された。神の言葉を種に、それを聞く人々を種が蒔かれる土地にたとえて話された。私は茨の中に落ちた種のたとえが正に私自身に当てはまると思わされた。主は私の全てをご存知で、私の道、業の結ぶ実に従って報いると言われる(エレミヤ17:10)。へりくだって神様と共に歩みたいと思う。私が周りの兄姉方を意識すればとても恥ずかしいが、主を喜び、素晴らしい主をほめたたえるために、礼拝で立って祈り、たまに御言葉の味わいを話させて頂き、日常の小さな事の実行を積み重ねさせて頂きたいと願っている。(S・K)
礼拝讃美歌 478番(何ゆえ御神はかかる身をも)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2020-06-14 K・H兄、S・K兄 (20:00))