マタイ6章8~10節:あなたがたの父は、願う前からあなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。神は私たちに必要なものを既にご存じです。だったら何も祈り求める必要はない?いいえ、「だから、こう祈りなさい」と「主の祈り」を教えられました。先ず神に関する3つの祈りと、私たちに関する3つの祈りです。主の祈りは、私たちが本当に必要としているものは何であるかを示しています。今朝は前半の祈りを読みます。①御名が崇められること。②御国を待ち望むこと。御国=国としての領土ではなく、神の支配・統治の意味。神が100%完全に支配し、愛と憐れみをもって統治されているのが御国で、その実現。地上には不公平や貧困などの苦しみが満ちているからです。その原因には政治的な問題も絡んでいます。そこで③御心が地上で行われることへの祈りが必要です。政治権力者の私欲や権勢が第一義になっている(日本も米国他も)から。私たちも自分の我意ではなく、先ず神が願われ意志されること(御心)を最優先したい.主イエスの祈りは、その模範です。「父よ、出来る事なら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし,私の願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ26章39節)。しかし…と、神の御心に委ねました。神の御心とは、すべての人が救われ、御国が地上に実現すること、そのために独り子イエスを私たちの罪の身代わりとして十字架にかけることでした。その御心をイエスは、ご自分の上に受け止められました。今の政権の言動を見る度、御心が行われますようにと祈らされます。

礼拝讃美歌 395番(慈しみ深き友なるイエス)

 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2020-05-31 K・H兄)