①創世記25710節:アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に…。これは、理想的な最期。満ち足りて死に、息子らに手厚く葬られたアブラハム。愛する妻サラと同じ墓に葬られている。それに対して歴代誌下21に記されている、ユダの王ヨラムの最期は対照的。その後、主は彼の腹を不治の病で打たれた。来る日も来る日も苦しみ、2年ばかりの後には、その病のために内臓が出るようになり、彼はひどい苦しみにあえぎながら死んだ(18,19節)。彼は王位にあったが、惜しまれることなく、世を去った(20節)。ここを初めて読んだ時、衝撃を受けた。五十嵐葉子姉の安らかな最期を思いつつ、2つの対照的な最期を今読んだ。主キリストが私たちの身代わりに悲惨な死を受けられた。だから、信じる者は神の怒りを受けない新約の恵みの中に入れられている。たとい弱く、小さな信仰であったとしても,である。感謝。 (浜田兄)

②マタイ2章: 夢でお告げがあったので…(12,13,22節)

クリスマスに読まれる箇所を、別の視点で読みます。ここには3つの危機があり、絶体絶命のピンチをどうしのいで行ったのか。占星術の学者らに騙されたと知り、怒ったヘロデ王は幼児殺害命令をベツレヘムの寒村に出した。2歳以下の男児が一人残らず殺された。更に、ヘロデ王の死後にも危険があった。息子のアルケラオが支配者になったからで、それでナザレに移った。そうした危機の度に示されたのが、夢によるお告げ。人間の見る夢を通して、神は3回も救いを示された。夢を支配される神の凄さ。このような神には勝てない。夢まで制されたら、私たちに何が出来るか。唯々、平伏してみことばに聴き従うのみ。 (百瀬兄)

建徳の録音です。

(建徳 2020-02-23 浜田、百瀬 21:00)