①詩編121編:見よ、イスラエルを見守る方は,まどろむことなく、眠ることもない。この詩は対話形式に読めるので交読したい。私0の助けはどこから来るのか→天地を造られた主から。その主はあなたを見守るのか→まどろむことなく、眠りもしないで見守る。自問自答とも読める。都に上る歌と表題にあるが、バビロン捕囚から解放され、都エルサレムへと帰還する時の歌。千キロもの長旅。途中の盗賊や病気、悪天候などへの不安と心配を前にして、主が完全に守ってくれると歌った詩。今年1年、どのような出来事が起きようとも、主は完全に見守ってくださる。だから、私たちは天国である都エルサレムを目指して上り行く。(浜田兄)
②詩130編:深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。最高の詩編は?と問われてルターは、パウロの詩編と答えた。その1つが今読みました130編。その理由は罪の赦しが、行いによるのではなく信じる者に与えられるから。深い淵の底(複数形・どん底)に今詩人はいる。神から遠く離れた所、命のない死の世界。そのような所にも降りて来て下さったのがイエス様。4節の「しかし」に注目。そこで切り替わる。「雪の降る町を」は短調で始まるが、遠い国から…明るい長調に変わる。深い淵の底から主イエスを仰ぎ見るとき、この詩編も切り替わる。5,6節で、救い主の到来を待ち望む見張りが朝を待つにもまして。それは私たちにとって主の再臨待望。新年になっても深い淵がある。しかしやがて義の太陽が昇る日の来ることを信じ、待ち望めるのは、何と幸いなことだろう。(人見兄)
建徳の録音です。
(建徳 2020-01-05 浜田、人見 18:39)