①Ⅰコリント12章18~27節:それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
「人生で一番大事なことは、自分の事だけを考えないということです。他人の苦しみを軽減するためにはどうしたら良いか考えることが大切です。人は皆、つながっています」と語られた言葉を聞き、上記の聖句が示す、キリストを頭とする集会の在るべき姿を思った。一つの部分が苦しめば共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば共に喜ぶ。私たちの身体についても、そのまま当てはまる。そこにキリストが在す。(浜田兄)
②ヨハネ20章17節:イエスは言われた。「私に縋りつくのはよしなさい。…」これは復活の主がマグダラのマリアに言われた言葉。触れられるのを拒否された。それに対して、同じ復活の主が、マタイ28章9節では、婦人たちが主イエスの足を抱き、その前にひれ伏した、と書かれている。矛盾しているようだが、決してそうではない。復活という驚くべき出来事に接して、慌てふためいた弟子たちが見える。大事なことは、聖書が霊感を受けて書かれたこと。聖霊がどのように私たちに語りかけてくださるか、にある。(政池兄)
③マタイ18章21節~:あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい。7×70=490回。これは回数ではなく、100%赦しなさいということ。このたとえは王が神で、家来が私たちのこと。愛と赦しは同じで、あの言葉だけは赦せない、と言ってはいけない。愛は全部を赦す。卑近な夫婦間に於いて、特にそう思う。全部赦さないと愛にはならない。勿論、人間の力だけでは赦せるものではないから、最終的には、聖霊がどのように働かれるかにある。(百瀬兄)
建徳の録音です。
(建徳 2019-12-15 浜田、政池 17:50、百瀬 25:53)