①ヨハネ201923節:そこへ,イエスが来て真ん中に立ち,「あなたがたに平和があるように」と言われた。

平和シャロームは神との平和が根幹にあり、それはイエス様の贖いによって魂に与えられる平和・平安。主を裏切り逃げた弟子たちはユダヤ人を恐れて、家の戸に鍵をかけていた。そこへ,イエスが来て真ん中に立たれた。主はイザヤ53章の苦難の僕として現れた。弟子たちはその主を見て喜んだ。それは単純な感情的な喜びではなく、後悔の涙を経て、罪赦された喜び。主は「私が遣わされたように、私もあなたがたを遣わす」と言われた。イエス様を証しし、福音を宣べ伝える使命が私たちにも与えられている。なのに私はこれまでの生涯で、どれほど主を証しし宣べ伝えたか。反省をすると誠に申し訳ない思いが湧く。そんな私に与えられた慰めを、Ⅱコリント1:3~6からいただいた。ナウエンの言葉と関田寛雄牧師の証しを紹介。(柴川姉)

②ルカ2820節:その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。天使が一番最初に主の降誕を知らせたのは、羊飼いたち。当時、羊飼いは律法の外にいる汚れた罪人だ、とレッテルを貼られていた。人口調査対象外の非人層の者。それゆえ神は、真っ先に救い主の誕生を伝えた。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主が生れた。救いから除外されていた羊飼いをも救うために生れた。誕生のしるしは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ていること。家畜のレベルまで低くされたお姿の救い主。それだから、最下層と蔑まれた羊飼いたちも信じられた。そして、自分たちは見捨てらていないと信じられた。私も取るに足りない者だと知りたい。 (浜田兄)

建徳の録音です。

(建徳 2019-12-22 柴川姉、浜田兄 27:40)