①マタイ22章37~40節:第2も、これと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい。」関心のなかったラグビーですが、ベスト8に入った試合のインタビューから2つのことを学んだ。1選手同士の愛と信頼による一致。2台風で被災した方々に勇気を与えたいとの思いで戦った。そこから上記の聖句が思い浮かんだ。隣人は国籍人種などが異なる人々をも含む言葉。心・精神・思いを尽くして神を愛する事と自分の隣人を愛する事。それはラグビーを超えている。そんなことは出来ないが、ヨハネ17章23.24節、イエスさまの栄光を拝するために、1つとされる。私たちにはできない不可能なことを、主は身をもって世で生きて死んでくださった。そして、私たちが1つになるように祈ってくださった。人間の努力や修養ではできないが、イエス様と1つに結び付くことでできるようになる。目的は主イエス様の栄光のため。 (柴川姉)
②Ⅰテモテ1章15,16節:わたしは、その罪人の中で最たるものです。偉大な使徒パウロは自分のことを、罪人の中で最たる者(第一の者、頭)と言った。また、最もつまらない者(エフェソ3:8)、使徒たちの中でも一番小さな者(1コリント15:9)と述べた。徹底した謙遜さ。それは主イエスに倣ったもの。主ほど自らを低くされた御方はいない。何でもお出来になるのに、「父神から離れるなら、自分だけでは何もできない」と言われた(ヨハネ5:19,30)。その主の前に立つと、自らの傲慢さを示される。謙遜さとは、自分を低くするばかりでなく、相手を高くする事。へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考える。フィリピ2章3~8節。キリストは自分を無にして、僕の身分になり…へりくだって、死に至るまで…従順。(浜田兄)
建徳の録音です。
(建徳 201-9-10-27 柴川姉、浜田兄@22:30)