①Ⅱコリント5章14節:キリストの愛が私たちを駆り立てているからです。
色々な訳がありますが、一番心に届いたのは、キリストの愛われらに迫れり、です。キリストの愛がわたしたちに強く迫っている(口語訳)。先週、祈り黙想していた時、十字架につけられたキリストの愛が迫って来ました。私の内側に思いが溢れました。キリストが命を捨てる程に、私は愛されていることを知らされました。パウロを始め、昔の聖徒らも同じ体験をしました。目を閉じしばし、十字架の主を目の前に思い浮かべ、心を込めて語り合ってください。神でありながら私たちと同じ人間となり、永遠の命でありながら十字架の死を味わい、こうして私の罪のために死なれた、キリストの愛を思う。では私は、その主のために何をもって応えたろうか、と問う。(浜田兄)
②詩46編2~4節:地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。
東日本大震災の被災地石巻に8人で訪問した時の、生々しい情景が、この聖句と共に思い出される。その地で宣教師として奉仕されていた韓国の方は、被災された人々と共に居て励まし、慰めるために御言葉を語った。助かった人もいれば、亡くなった人もいる。そんな中で、神に信頼し、神の絶対的な力の大きさに触れて、生きていく。冒頭の聖句を被災地で読むと、鮮烈な印象が残った。 Ⅱペトロ3章に、終わりの時には、「世の中のことは天地創造の初めから何一つ変わらない」と嘲る者が出る。しかしそれは、主が一人も滅びないで皆が悔い改めるために忍耐しておられることを示す、とある。 (北原兄)
建徳の録音です。
(建徳 2019-09-01 浜田兄、北原兄@17:36)