① ヨハネ8章28,29節:あなたたちは、人の子を上げたときに初めて『わたしはある』ということ…。
科学技術は今、危険な分水嶺に立っている、と京大の山中教授は述べた。人間の知恵が進み、神の領域にまで侵入しようとしている時代。聖書は何と言っているのかを、この聖句から聴き取りたい。人の子が上げられるには、十字架と昇天の2つの意味がある。「わたしはある」は出エジプト3章14節で示された神の名前。十字架・復活・昇天の後、聖霊が降臨された時、イエスが神であることが聖霊によって分かった。そして、父なる神、唯一絶対なる神を信じて伝道した結果。教会が誕生した。今、求められるのは、本当の意味で生かされる事。真の神を信じて礼拝する謙遜と感謝がなければ、人間の力と知恵だけで突き進んでいくことになる。そこに真理はない。主イエスが真理と救い。(柴川姉)
② 創世記15章7~18節:その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」
旧い契約の代表が十戒。それより何百年も前のアブラム契約は、新しい契約に通じる。契約を結ぶ時、動物を2つに切り分け、その間を当事者が通った。契約を破ると動物のように切り裂かれるとの警告。ところが、アブラムは深い眠りにあり、神だけが通り過ぎている(17節)。契約違反の責任は神だけが負うということで、一方的な恵みを示す。神がアブラムを眠らせたのは、そのため。契約後、アブラムがどんなに罪過ちを犯そうとも、神の約束は取り消されないばかりか、その責任は神が負われる。このアブラム契約は、主イエスの御体が裂かれた十字架の死を指し示す。旧約聖書の中に新約の福音がある。神は人間が契約を破っても、祝福の約束は変わらないことをアブラムに於いて示されている。そのために、独り子イエスさまが2つに裂かれた。測り知れぬ恵みの福音は、何としても人を救おうとする神の熱情。 (浜田兄)
建徳の録音です。
(建徳 2019-08-11 柴川姉、浜田兄@27:52)