2023年2月5日
主日礼拝
《建徳要旨》
①創世記6章3~6節:主は、地上に人の悪が増し、常に悪い事ばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。今の世もこれと同じで、悪がどんどん蔓延っている。神が後悔しているとは信じられない言葉。そこでノアの時代に洪水で全滅させた。このことを忘れてしまっている。そんな私たちを救うために、神は独り子イエス様を十字架で殺すために遣わされたとは驚愕させられる。黙示録21章3,4節:神が私たちの目の涙をことごとく拭い取ってくださり、もはや悲しみも嘆きも労苦もない世界を、主イエスによってもたらしてくださる。そのことを思うと胸がジーンとし涙が溢れる。今は絶望しか見えないとしても、そこに救いと希望がある。黙示22章11節:不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ、とある。これが神の御心だと示された。だから、神から目を離さずに見つめていたい。 (M・T)
②ルカ8章40-42,49,50節:イエスはこれを聞いて会堂長ヤイロに言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」。12歳の娘が死に瀕している。父ヤイロは藁にも縋る思いで、娘の所に来てほしいとイエスに懇願し、同伴した。ところが、その途中で娘の死を告げられ、これを聞いたイエスは「ただ信じなさい」と言った。しかし、死という現実に直面すると、もう何もできない。医学はそこまでだが、イエスは違う。そして、信じれば、娘は救われるとヤイロに信仰を求めた。しかし、何を信じれば良いのか。信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること(ヘブライ11章1節)。肉の目には見えなくとも、神はそこに居られ、信仰を通して働かれる。そして、あり得ないこと(死んだ娘が生き返る)が起きる。アブラハムの例:75歳の時に与えられた約束(子孫が星のように)が実現したのは、99歳の時。人間的にはあり得ない状態の時に、子どもを与えられた。信仰によるなら同じことが起きます (K・H)
③感話:詩編23編4節、ヨハネ15章19節、申命記31章6節。(T・M)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された感話と建徳です。
(建徳 2023-02-05 M・T兄の感話、K・H兄(⑱:00)、T・M兄(39:20))