2021年6月27日
主日礼拝
《礼拝》
礼拝讃美歌⇒180番(旧233番)
『いと高き神の』
聖書⇒コロサイの信徒への手紙1:26~27節
『世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。』
礼拝讃美歌⇒304番(聖歌236番)
『わが身の望みは』
聖書⇒詩編 92:2~7節
『いかに楽しいことでしょう/主に感謝をささげることは/いと高き神よ、御名をほめ歌い
朝ごとに、あなたの慈しみを/夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは
十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ/琴の調べに合わせて。
主よ、あなたは/御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。
主よ、御業はいかに大きく/御計らいはいかに深いことでしょう。
愚かな者はそれを知ることなく/無知な者はそれを悟ろうとしません。』
ガラテヤの信徒への手紙5:22~23a節
『これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。』
礼拝讃美歌⇒9番(旧6番)
『取柄あらぬ』
聖書⇒詩編 30:5~6、13節
『主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
わたしの魂があなたをほめ歌い/沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ/とこしえにあなたに感謝をささげます。』
《パン裂き》
聖書⇒コリントの信徒への手紙一11:23~26節
『わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。』
礼拝讃美歌⇒142番(旧58番)
『渡されたもう』
《建徳》
聖書⇒マタイによる福音書5:3節
『心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。』
聖書⇒ヤコブの手紙/ 01章 19~27節
『わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。』
聖書⇒ローマの信徒への手紙3:25節
『なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。』
礼拝讃美歌⇒256番(聖歌498番)
『謳いつつ歩まん』
《建徳要旨》
①マタイ5章3節:天の国はその人たちのものである。6月号恩真誌に書かせて頂いたのは、私たちに約束された御国がどれほど素晴らしいものであるかをもっと多くの人に知ってもらい、伝道活動にも役立てたいと思ったからです。最近私は孫の件で、自分を犠牲にして懸命に子育てをする母親の姿を見て、「この子と一緒にみんなで天国に行けたらいいね」と声をかける伝道ができたらと思いました。それともう一つ、私がある集会で「天国は本当にあるのですか」と尋ねられ、私が「間違いなくあります」と答えた時の皆さんの弾けるような喜びの中で、「天国は、みんなが良い所だと思い、行きたいと願っている所だ」と確信したのです。そうであるなら私たちは自信を持ってもっと多くの人に「素晴らしい天国に、一緒に行きませんか」と声をかける、そんな伝道の在り方についても,つくづく思わされたのです。 (T・M)
②ヤコブ1章19~27節:自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。ヤコブは人の話をよく聞けといいました。でも、すぐに聞くだけではダメだと。聞くのか聞かんのかどっちやねんとツッコミをいれたくもなりますね。聞いたらそのとおり行えと彼は言うのです。人は信仰だけでなく、行いによって義とされるのだ(2:24)と言っても、それは律法を守れというのではない。彼のいう「行い」とは御言葉の日常生活への適用です。御言葉を聞くだけで、日々生活に活かさなければ聞き流したのと同じだと言っているのです。緊急事態宣言下は毎週、浜田愛兄姉が肉の糧より大事な霊の糧をライブ配信してくださいました。でも、出前ばかりでは運動不足で健康を損なうように、御言葉もただ聞く一方では健やかな信仰を保てません。折角、みんなが集まれるようになったのだから、私たちも力を合わせて愛の出前をしようではありませんか。(N・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-06-27 T・M兄、N・H兄(15:30))