ルカ15章25~32節:兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出てきてなだめた(28節)。弟が帰って来ても喜ばない兄が登場する。これはファリサイ派の人々が、徴税人や罪人に対して抱いたのと同じ思い。あんな奴と一緒に食事などしたくない。怒って家に入ろうともしない。何で怒っているのか。人が祝福され、御馳走に与ると、自分と較べてしまう。平気な顔をしてよく帰ってこられたな、それなのにオヤジもオヤジだ。甘すぎる。くそ、腹が立つ。兄の怒りは正しい?兄は自分も罪人なのに、自分は義人だと思い込んでいる。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12章15節)では、共に喜ぶ方が難しい。人の祝福、成功、恵まれているのを一緒に喜べない。妬みのゆえ。私たちも同じではないか。兄は真面目だが、喜びが無い。満足がない。すべてが義務。だから、ルール違反の弟が許せない。この兄も失われた息子。父である神を正しく理解していないから。15章32節で、父はお前の弟が本来居るべき家に帰って来たのだから、喜んで迎えるのは当たり前ではないか?と語りかけている。その言葉にを聞いて、兄はどう思ったのか。悔い改めただろうか。聖書は何も記していないが、あなたはどう思うか、と問いかけている。

この兄と似ているのが預言者ヨナ。彼は将棋の棋士のように何手も先を読んた。こうしたらこうなる、と。だから、神の命に背いて逃げたが、神からは逃げられず、仕方なくニネベに行き、40日したら滅びると預言。そうなるかを見張っていた。4章9~11節。悔い改めたニネベを赦した神に、ヨナは激しく怒った。兄と同じ怒り。ニネベなど滅びたら良いのに、神はそうしなかったから。そんなヨナに神は、右も左もわきまえぬ人間と無数の家畜を惜しむと諭す。それに対するヨナの返答は何も記されていない。ローマ8章32節:その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜わらないはずがあろうか。いや,ない!この方こそ主イエスが譬話で語られた父神なのです。   (K・H)

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-01-31 K・H兄)