①申命記6章4~9節:これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口にも門にも書き記しなさい。四六時中、神のことを思っていたい。それには、上記の聖句のように工夫をする。みことばに集中して、絶えず繰り返す。そうして、いつも神のことを思っていたい。そのわけは、主がペトロに言われた、「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(マタイ16章23節)になり易いから。人間は弱いから、神のことよりも人間のことを思ってしまう。そうならないために、新聞を読むように聖書を毎日読みたい。そのことをH兄から聞き、心に残っている。神様を常に思うことを大切にしたい。(S・K兄)
②マルコ14章3~9節とフィリピ3章5~9節の比較:ナルドの香油を捧げたマリアとパウロに共通するのが、イエス様への価値観。先輩らが語った「主のお値打ち」。2人の比較をしたい。マリアは一年分の賃金300デナリを惜しみなく主に捧げた。無駄遣いだと咎められたが、イエス様はマリアの行為を喜ばれ、擁護された。彼女は油を注いだことで、知らずしてこの方がメシアであることを示した。一方、イエス様の絶大な価値の前には、自分が持っていた家柄や誇りとしたものが塵芥でしかないと気づいたパウロ。価値観の転換が見られる。ここで視点を変えて、神さまの側から見たらどうなるのか。かけがえのない尊い御子イエス様を、神に背いている私たちを滅びから救うために捨てられた。ヨハネ3章16節はそのことを述べている。これほどの無駄遣いはない。そのことをつい忘れてしまうが、四六時中、主の事だけを思っていたい。尊いイエス様のことを、第一に思っていたい。 (E・S姉)
建徳の録音です。
(建徳 2020-03-15 S・K兄、E・S姉(11:19))