あなたの真新しい車を借りて、それをぶつけてしまった日のこと覚えている?

あなたはひどく怒ると思った…でも、あなたは怒らなかった。

あなたは雨が降ると言ったのに、海岸に無理に連れ出して雨が降った時のことを覚えている?

「だから言ったじゃないか」と、あなたは言うと思った…でも、あなたは言わなかった。

あなたを嫉妬させようと、私が男友達と遊んでいた時のことを覚えている?

あなたは嫉妬したでしょう?あなたは私を捨てると思った…でも、あなたは捨てなかった。 

あなたの真新しい敷物に、ブルーベリーパイを丸ごと落としてしまった時のことを覚えている?あなたは確実に私を見放すと思った…でも、あなたは見放さなかった。

そう、あなたは思い留まってくれた多くのことがある。

それなのに、あなたはそんな私にじっと耐え、私を愛し守ってくれた。

あなたが戦争から戻ったら、埋め合わせしようと思っていたことがたくさんあったのに…

でも、あなたは戻ってこなかった。                   (作者不詳)

この詩は、テルシュキン著『言葉で癒す人になる』の中にあります。戦場に行った恋人に向けられています。この詩を読んで感銘を受けたのですが、それは彼の言葉と態度に示された愛を見たからです。その愛とは・・・。聖書は愛について次のように述べています。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分(だけ)の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。

 (Ⅰコリント13章4~8節) 

ブライダルのチャペルで読まれるのが、この聖句です。愛はロマンチックで優しい‥とはありません。愛は忍耐強く、すべてを忍び、すべてに耐えるものだ、と聖書は言います。結婚生活を長年送りますと、その通りだと分かります。しかし、我慢するのが忍耐でしょうか。それだとストレスが溜まります。そうではなく、相手を信じて忍ぶのです。この愛はイエス・キリストが私たちに示されたものです。私はこの通りではありません。少しも忍耐強くなく、ねたみます。自分だけの利益や得することを求めます。神と人を信じることよりも疑います。すぐ苛立ち、怒り耐え忍びませんから、聖書とは真逆の態度を取っています。そんな自分勝手な者に対して、イエス様はじっと耐え、愛し守ってくださるのです。本当に、有り難い(有り得ない)愛です。聖書はその愛を伝えています。